結婚は、数ある人生儀礼の中でも最も晴れやかな節目です。神様のおはからい(御神縁)によって結ばれた二人が、神様の前で、苦楽をともにして明るく楽しい家庭を築き、子孫の繁栄をはかることを誓い合います。
なんといっても、共同体の最小単位は家庭です。素晴らしい家庭があってこそ、国の繁栄や世界の平和がもたらされるのではないでしょうか。
神前結婚式というと、多くの人は三三九度を、女性ならば白無垢・綿帽子・角隠しを思い浮かべることでしょう。神に仕える衣装は、清浄感に満ち溢れた白が使われてきたことから、神様の前で結婚式をあげる時にも、白い衣装が用いられることになったようです。
また、綿帽子や角隠しは、神職がかぶる冠や烏帽子と同じように、神様の前に出る時の被り物なのです。
穗髙神社の神前結婚式はこちら ▶
子宝に恵まれたことを神様に感謝し、妊娠五ヶ月目の戌(いぬ)の日に着帯の祝いを行います。 戌の日が選ばれるのは、戌の安産にあやかるためと言われ、妊婦は赤ちゃんが岩のように丈夫に育ちますようにとの意味が込められた「岩田帯」をしめます。そして、母体の安全と無事に赤ちゃんが産まれることを願って安産祈願をします。
赤ちゃんが初めてお参りして、神様のご加護のもと無事に誕生したことを感謝し、これからもすこやかに成長するようにと祈ります。多くの場合、赤ちゃんは母方から贈られた晴れ着を着て、おばあちゃんに抱かれ、両親とともにお参りします。
男子は生後31日目、女子は33日目にお参りするのが一般的ですが、体の抵抗力の少ない赤ちゃんのことですから、あまり日数にこだわらずに温かい日や天気のよい日を選んでお参りするのがよいでしょう。
お宮参りは、赤ちゃんを産土(氏神・鎮守)さまの産子(氏子)として認めていただく意味があります。ですから、わざとつねって泣かせ、ご挨拶に来たことを印象づけたり、お参りの帰りに、会う人ごとに赤ちゃんを見てもらって、赤ちゃんがその土地の一員になったことを認めてもらう風習も残っています。
●地方によって初宮参りの時に赤ちゃんの額に鍋墨などで犬の字を書いたり、点や一の印をつけることが行われています。女児ではさらに頬に紅をつけることもあります。
お子様が満1歳になったことを神様にご奉告申し上げ、お子様の健康とさらなる御加護を賜りますよう祈願いたします。
11月15日に、3歳の男女児、5歳の男児、7歳の女児が晴れ着を着て、神社にお参りし、子供の成長を神様に感謝し、これからの無事を祈ります。
七五三はこの年頃の子供の年祝いをする古くからの風習に由来するもので、代表的なものは、三才の「髪置」、五才の「袴着」、七才の「帯解」の祝いです。「髪置」は男女児ともに行われた儀式で、この日を境に髪を伸ばし始めました。また男児は「袴着」で袴を着け始め、女児は、「帯解」でそれまで付け紐で着ていた着物から帯で占める着物にかえました。つまり形式的にではありますが、七五三を終えて、晴れて一人前として扱われるようになったのです。
七五三参りは、昔は数え年で行いましたが、今では満年齢で行うところが多くなりました。
数えで十三歳になった少年少女が神社にお参りするものです。昔は、男女ともに十三歳が、正式な成人式を迎える前段階の重要な年と考えられていました。関西地方では盛んに行なわれています。
長寿を祝う「算賀祭(さんがさい)」や「祝賀奉祝祭」は、命の営みを神様に感謝し、年を重ねる喜びや家族や友人を大切に思う心を確認し合う節目の儀礼です。
古代中国の「敬老思想」が日本に伝わり、平安時代以降、貴族など上流階級を中心に広まったものといわれています。
祝う歳は当初、四十歳、五十歳など十年刻みでしたが、鎌倉時代以降、現代のような六十歳、七十歳、七十七歳、八十歳、八十八歳…という節目で祝うことが一般化したようです。
年齢は、数え年、満年齢のいずれで数えても差し支えないものといわれています。(地域によって様々な習慣があります)
十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合せが六十年で一巡することから、数え年の六十一歳は、古来おめでたい年周りと考えられてきました。自分が生まれた年の干支(えと)に戻ることから「赤ちゃんに還る」という意味に重ねられ、赤を基調にお祝いする習わしがあります。
「還暦」の代わりに「華甲(かこう)」という言葉を使ってお祝いをする場合もあります。「華」という字は六つの「十」と一つの「一」から成り、合計が六十一になります。また干支の最初「甲子(きのえね)」の「甲」は、物事の始まりを意味するといわれています。
古稀は、中国唐代の詩人・杜甫(とほ)の漢詩の一節
「人生七十年古来(こらい)稀(まれ)なり」
に由来するといわれています。聖徳太子の定めた冠位十二階の最上位の色が紫であったことから、紫は一般的に高貴な色とされるようになり、やがて長寿のお祝いに用いられることが多くなったようです。
「喜」という字の草書体は「七」を三つ並べた字で、「七十七」に読めることから、この字を当てるといわれています。その起源は、室町時代とも言われ、本来は厄年の一つであったようです。
「寿」には「長命」という意味もあります。
「傘」を略した俗字が「八十」と読めることから、この字を当てるといわれています。金茶色(きんちゃいろ)とは、金色がかった明るい茶色で、古代中国の陰陽五行説で土を意味する黄色に通じるものともされ、万物を育成・保護する性質を表すともいわれています。
「八」「十」「一」を組み合せた「半」の字をあてたものといわれています。また、将棋盤のマス目が「九×九=八十一」であることから「盤寿(ばんじゅ)」ともいわれます。
「八」という字は古来、末広がりで縁起が良いものと考えられてきました。「八十八」を組み合わせた形である「米」の字を当てることで、日本人の命の源である「米」にも直結し、一層おめでたいものと認識されています。
「米の祝い」「よねの祝い」と言われる場合もあります。
「卒」の俗字「卆」が「九十」と読めることに起因するといわれています。「鳩」の字の中に「九」があり、音読みも「きゅう」であることから「鳩寿(きゅうじゅ)」という場合もあります。
「百」という字から「一」を取った文字「白」で「九十九」を表現したものといわれています。
「百年(ももとせ)に一年(ひととせ)たらぬ九十九髪(つくもがみ)我を恋ふらし面影に見ゆ」
という和歌が『伊勢物語』にあります。「九十九」は「次百(つぐもも)」が転じたもの、また白髪の様子をツクモという水草に重ねたものといわれています。
文字通り「百寿(ひゃくじゅ)」といわれたり、一世紀を表わす「紀」に因んで「紀寿」ともいわれます。「百(もも)」は数が多いことを表し、その語源は「モロモロ(諸々)」、「モノモノ(物々)」等が転じたものといわれています。
六十歳を「下寿(かじゅ)」、八十歳を「中寿(ちゅうじゅ)」、百歳を「上寿(じょうじゅ)」とすることもあります。
合計が百八になる「十」「十」「八十八」の組み合せで成り立っている「茶」の字を当てたものといわれています。
合計が百十一になる「白(九十九)」「一」「十」「一」の組み合せで成り立っている「皇」の字を当てたものといわれています。
二回目の「還暦」を意味するといわれています。